ありのままの自分になる事。〜視点(次元)を変えるという事〜
こんにちは:) ピーチです。 今日はずっと書きたかったトピックで、日常の小話になりそうなお話を、 スピリチュアルな視点からお届けしようと思います:) 私はドイツのベルリンに住んでいるのですが、この街は天気が曇ったり、寒くなったり(特に冬)すると、人々の機嫌が同一人物とは思えない程暗くなる時があります。むしろそれがベルリンという感じ笑 ベルリンに住んで間もない頃は、「私何か変なことしたかな」と何度も思うけど何もしていない。。と良く気にしていたものでした。 それが4年を過ぎて、ほとんど気にならなくなりました。 私はコーヒーを飲むのが好きで、カフェに行ったり飲み物を持ち帰りで買って散歩する時間が至福の時間なんですが(特にコロナのquarantineの間はそれが支えでした) パン屋さんの気さくなおばさんの安いコーヒーはあんまり美味しくないけど おばさんがいつも明るくてほっこりするので行くのですが、店内もおしゃれで良質なコーヒーを扱っているお店も近所にあり、そこにもよく行きます。 そしてそこで飲めるコーヒーは格別なのですが、オーナーのお兄さんが本当にびっくりする気分屋なのです。オススメのコーヒーの話をウキウキ話してくれる時もあれば、えっ何かあったの!?というくらいめちゃくちゃ冷たい時があります。行き始めた頃はびっくりして、いちいち気になるので、もう行くのやめようかなと思ったことがありました。 でも、本当に美味しい、悔しいけど行ってしまうという日々が続くと、なんだか最早イライラを通り越してだんだん可愛く、憎めないなぁみたいな気になってきました。 私がどちらかというと両親にのびのび育ててもらった方ではありますが、思春期に育った時代は、ありのままなんてありえない、プロはプロらしく仕事しなければいけない、先生は間違った事してはいけないみたいな、人前に立つ人は絶対間違っちゃいけないとか、裏の顔は見せてはいけないとか笑 雨の日も風の日もとにかく笑顔で頑張れみたいな汗水垂らした努力の時代だったと思います。でもそれがここに来てひっくり返される笑 例えばクラブやBarもどんなに有名にDJになってもちょっとしたハラスメントを起こすとすぐ出禁になるし、一度DJをしてもお店に入る時はここに来た事があるか入り口に店員さんに確認されたりします。こんなルールは、無邪気な人がたくさん居なければ起こりえない